team
TEAMS
平成国際大学野球部は、学生主導でチーム組織のマネジメントしている野球チームであり、
目標と成果を追求した行動の判断ができる考えを育み、社会で通用する人間形成を行っていきます。
大学4年間で積み上げた「思考の価値」で、卒業後も社会で活躍しています。
environment
施設環境
2024年7月完成・平成国際大学専用野球場
2024年7月完成・平成国際大学専用野球場
2024年7月に全面人工芝のグランドに生まれ変わりました。
専用ブルペン
専用ブルペン
一塁側で2名、3塁側で3名が投球練習をすることができます。
ダッグアウト
ダッグアウト
ダッグアウトは、裏で鏡を見ながらスイングチェックができる広さがあります。一塁側には、山崎先輩(西武ライオンズ)から寄贈された製氷機が設置されています。三塁側には、シャワー室が2室設置されています。
専用室内練習場
専用室内練習場
写真奥の緑色目隠しの向こう側に、投手2名が投球練習を行えるブルペンがあります。前進守備位置ならば、内野のシートノックが可能です。
summary
概要
平成国際大学野球部は、1997年(平成9年)、前年に開学した平成国際大学に創部。初代野球部長である山崎努先生のもと同年1997(平成9年)年4月に関甲新学生野球連盟に加盟、同連盟3部リーグに属して初の公式戦(リーグ戦)に出場した。
1997(平成9年)7月、当時、関甲新学生野球1部リーグにおいて最多の優勝回数を誇っていた関東学園大学の大島義晴監督を初代野球部監督として招聘した。しかし、同好会的に発足した野球部員たちにとって、監督就任や本格的な活動の始動は本意ではなく、多くの部員が部を去っていった。
結局、ボールが1ダースにも満たない、各塁のベースも無いような状態の中で大島監督と部員7人から始動した野球部であったが、当初は常時練習に参加するのが初代キャプテンとなった友澤健太郎のみであった。(後に友澤は西濃運輸に進み都市対抗に出場、東京ドームで安打を記録した。)
1998年(平成10年)4月、3部リーグ戦1位。主将の友澤健太郎がシーズン27打点という大活躍。この絶対的な主将を軸に、この春から入部を目的として入学した新戦力が加わったことで3部リーグ戦1位。入替戦も山梨大学に連勝し2部リーグに昇格した。
現在、関甲新学生野球連盟で副審判部長を務める後藤祐二が1年生ながらエースとして大きく貢献した。初代マネージャーの小森啓史、初代学生コーチの若月友也もこの年に入学している。
1999年(平成11年)春、2部リーグ戦1位。1部昇格を懸けた入替戦1部昇格の瞬間の相手は公立でありながら1部リーグの奪三振記録を保持する青木投手を擁する高崎経済大学。戦前の予想は劣勢であったが、左腕で1bu_shokaku長身の青木投手攻略として徹底したバント攻撃を敢行。結局、それが功を奏し見事に連勝、念願の1部リーグに昇格した。大島監督が就任したときに7名の部員に対して「卒業するまでに必ず1部で野球をやらせてやる。」という約束が果たされ、4年生(1期生)は、わずか1シーズンではあるが1部リーグで試合をすることができた。
大島監督就任から、わずか1年半で念願の1部昇格(大泉町営野球場にて)1部リーグにスピード昇格し、また、山崎敏投手が世間からドラフト1位候補として注目を集めていたことにより、リーグ戦を誘致できる野球場と室内練習場の建設が計画され始める。
2001年(平成12年)2月、沖縄県宮古島で初の春季キャンプを実施。これは、小森啓史マネージャーを中心とした部員たちからの企画立案であった。しかし、当時の野球部は練習で使用するボールでさえ大島監督がプロや社会人チームから中古ボールの払い下げを調達して使用しているほど運営資金が乏しく、キャンプなどは夢のまた夢であった。小森マネージャーをはじめとする部員たちも当然その状況は把握していたのだが、キャンプの実現は彼らにとって強化よりも大きな意味を持つもので2000campあった。それは「将来、自分たちの後輩になるであろう者のために恥ずかしくない野球部を作ってあげたい。」というものであった。自分たちは3部から
1部に昇格させて1部に定着させることで大学時代が終わるだろう。しかし、グランドや用具も資金も足りないけど志だけは有名大学に負けない野球部にしたい。こういった思いを何らかの形にすることが当時の部員たちには重要であったのだ。部員たちは講義や練習を疎かにしないと約束することを条件に経費捻出のためにアルバイトをさせて欲しいと申し出た。こういった部員の思いとは逆に大島監督は反対であった。なぜならば、キャンプというのは自分だけの交通賃や宿泊費だけでなく、球場使用や用具輸送など多くの経費を要するもの。いくらなんでも当時の部員数では無理だと判断したのだった。しかし、確固たる信念と志を持った部員たちは、反対されても引き下がらなかった。むしろ、部員全員が一致団結し、すべての経費を捻出。こうして第一回春季キャンプが実現されたのだった。
沖縄県宮古島の下地町(現宮古島市)にある下地町営野球場の外周は「平成国際大学」の文字を掲げたのぼり旗で覆い尽くされ、その光景は威風堂々たるものであった。
2002年(平成14年)2月、台湾へ初の海外遠征を敢行。淡江大学日本語文学科で日本語を学ぶ学生たちの全面的なサポートを受け、淡江大学、台北体育学院大学、中国文化大学との交流試合を行った。
2002年(平成14年)10月、キャンパス内に念願の平成国際大学野球場が完成した。関甲新学生野球リーグに加盟する大学の中で、観客席を設置した野球場を建設したのは本学が初めてであった。その後、本学を基準として上武大学、山梨学院大学、白鴎大学などが野球場を建設。これにより、各大学の野球場にてリーグ戦が開催できるようになったことは、本学がリーグの活性化に大きく貢献したと言えよう。
hatsuyusho 2003年(平成15年)秋、1部昇格から9季目で悲願のリーグ戦初優勝。当時の関甲新学生野球リーグ戦では、関東学園大学と上武大学の2校のみが優勝を二分している二強時代だった。よって、最も後発の平成国際大学が優勝したことは、二校以外の大学に大きな刺激と活力を与えたのだった。
2014年(平成26年)までに、プロ野球選手・関係者13名、社会人野球選手30名、実業団軟式野球20名、高校野球指導者2名、アマチュア野球審判員1名の人材を野球界に輩出している。
現在、酒井正文先生(野球部長)の言葉である「学ぶことで己を知り、行動を変えていく」という行動指向をかかげ、学生野球の範となることを目標に、情熱をもった若者が集う野球部である。
history
歴史・沿革
- 1997/4/1
- 野球部長を山崎努先生とし、有志により野球部を創部。
関甲新学生野球連盟に加盟、3部リーグに属す。
- 1997/7/1
- 大島義晴が初代監督に就任。2年生4名、1年生3名で始動。
友沢健太郎が初代主将に任命される。
- 1998/6
- 2部リーグ昇格。
- 1999/6
- 1部6位の高崎経済大学に2連勝し、1部リーグ昇格。
- 1999/6/24
- 大島監督が第28回日米大学野球選手権大会第2戦で1塁ベースコーチ。
- 2000/2
- 沖縄県宮古島にて春季キャンプを実施
- 2002/2
- 台湾親善試合。35-2淡江大、2-4台北体育学院、6-6中国文化大
- 2002/10
- 野球場、室内練習場が完成。系列高校と記念試合を行う。
- 2003/10
- リーグ戦初優勝。関東学園大学、上武大学の2強時代を崩す。
- 2003/11/19
- 山崎敏が自由獲得枠で西武ライオンズに入団の意志表明。
- 2004/7/6
- 牧田和久が第33回日米大学野球選手権大会第4戦で先発投手。
- 2009/10
- 2部1位の関東学園大学に2連敗し、20季ぶりに2部リーグ降格。
- 2010/5/30
- 1部6位の作新学院大学を2連勝で下し、1部リーグ復帰。
- 2010/11/1
- 第6回関東地区大学野球選手権大会初出場。0-2で中央学院大学に敗れる。
- 2010/10/23
- 佐野泰雄が埼玉西武ライオンズに2位指名される。
- 2013/2/20
- OBの牧田和久が第3回WBC日本代表に選出される。
- 2014/11/27
- 第10回関東地区大学野球選手権大会出場。0-1で横浜商科大学に敗れる。
- 2015/2/16
- OBの牧田和久が侍ジャパン対欧州代表 日本代表に選出される。
- 2015/10/9
- OBの牧田和久が第1回WBSCプレミア12 日本代表に選出される。
- 2016/10/20
- 狩野行寿が横浜DeNAベイスターズに7位指名される。
- 2024/7/28
- 全面人工芝の新スタジアムが完成。
記念セレモニーで「OBチーム VS 現役選手チーム」の記念試合が行われる。
ace-pitcher
エース#18
新井 雄次
菊池 秀俊
和多 広貴
山口 大輔
井上 隆宏
岡戸 祥平
植木龍之介
佐野 泰雄
captain
キャプテン#10
友澤健太郎
臼倉 直希
立野 淳平
石井 康雄
小堀 正和
鈴木 公太
瑞慶山 浩士
井上 隆宏
濱本 直孝
今井 佑紀
志村 達郎
岡田 龍明
横山 太祐
西野 一樹
岩田 祐也
清田 亮一
城田 一哉
狩野 行寿
石黒 隆一
best-nine
ベストナイン受賞者
臼倉 直希
島田 雅章
立野 淳平
牧野 裕也
鈴木 公太
大石 洋平
五十嵐卓也
松井 智彦
澤井 賢太
堺 行範
山口 大輔
川端 典義
原島 嵩太
松尾 直紀
米田 真幸
岡戸 祥平
佐々木 翔
藤嶋 寛文
澤山 翔太
城田 一哉
岩倉 駿也
片山 晃大
小泉 健
佐野 泰雄
土屋 拓巳
狩野 行寿
八代 奨太
茂木 将史
indiv-titles
個人タイトル獲得者